非実在ノスタルジー
超水道ラジオ第3回を更新しました。




こちらから特設ページでお聴きくださいまし。
収録は火曜日の夜でした。けっこうギリギリです。
今回も8通もお便りをいただけてとても嬉しかったです!
今後とも、どしどしお便りを送ってくださいね!

そんなわけで、今日は告知でも何でもない話。
わりと、いや、かなりどうでもいい話。
突然ですが、みなさんは自分の見た夢を覚えている方でしょうか?
自分、ミタヒツヒトは、自分の夢をあんまり覚えている方ではありません。
世の中には明晰夢を見られるひとがいたり、一部の芸術家は夢の中での経験を種に作品も作ることがあったりするらしいけれど、自分にはどちらも、てんで関係のないことのようです。
夢は夢で、すぐに忘れてしまう。フラットです。面白みがなくてあんまり好きではありません。

最近、眠りが深いのか深くないのか、夢を覚えていられることがますます減りました。
今までは運が良ければピンぼけの程度には覚えていることのできた夢の中身ですが、今や、水をこぼした水彩絵の具みたいに、その印象とささやかな色彩が後に残るばかりです。
そのくせ、最近見る夢は、なんだか暖かくて懐かしいものばかり……という気がするのです。
心地よくて、懐かしくて、誰か大切な人に出会えたような気がして、目が覚めたときには行き場のない愛しさが頭の中をぐるぐると回って、やがて消えていくような。
薄ぼんやりをさらにぼんやりさせたくらいにしか覚えていないから、断言することができなくてもどかしいけれど、ふしぎと「それでいいんだよね」と肯定したくなるような気もしてくるわけで。

原因不明、出処不明の懐かしさ、所謂ノスタルジーってあるよね、という話。

そういえば、妹と昔そんな話をした覚えがありました。
シチュエーションを詳しく覚えているから、きっと夢の中の話ではないと思います。
夢の中だったら、とっくに忘れているはずだし。

『ALWAYS 三丁目の夕日』の宣伝広告を見たときのことだったかな。
「こういった昔の光景に、オトナが懐かしさを感じるのはわかる。それは実際に昔に存在したことだし、昔のことは懐かしいのは当たり前だと思う。
でも、そんな時代を知りもしない自分も一緒に、ナゾの懐かしさを感じてしまうのはどういうことなんだろうね」
妹は、彼女の中学生なりの語彙を駆使して、だいたいこんな感じのことを言いました。
言われてみればそんな気がします。この妹、妹のくせになかなかいいことを言う。

そのときは、普段は俗物のくせに突然やけにセンチメンタルなことを言い出す妹を、少しだけ気味悪く感じながら「知らんがな」と流した自分ですが、ちょっと今日はそこについて考えてみようかな。

昭和的ノスタルジーに近い感情とはなんだろう、と考えてみると、何だかそれは美しい廃墟の写真を見たときの感情とよく似ていることに気付きます。
美しさと寂しさが同居した、死んだ時間を感じると、無宗教者でも、お線香の一つでも上げたくなるような気分になります。もう戻れないどこかの時代へのノスタルジー。
大学のレポートじゃないので、裏付けなんてやりません。ドントシンクフィール。ついてこれるやつだけついてこい、という話。

どちらにも共通しているのは、意図して切り取られた一面が押し出された表現であるということです。
昭和の夕陽にも廃墟にも、汚いところはあるはずなのですが、敢えてそういったところをクローズアップしていないんですよね。
清濁入り混じった世界観を後の時代から振り返って、客観的な視点をもって清い部分を集めたもの。綺麗なはずです。美しいはずです。
美化ってやつです。

その美しさが感動の引き出しを開けるきっかけであるのは、たぶんきっと、間違いない。
でも、自分が感じるのは「懐かしさ」です。

そもそも、ありもしなかったことを懐かしく感じるわけがない。
では、懐かしいと感じたのは誰か。もしかしてそれは、その作品を作った本人なのかも知れません。

昭和を懐かしんだ誰かが、廃墟に惹かれた誰かが抱いていたノスタルジーが、作品を通じて我々にも伝播するということが、絶対に無いと言えるのか。

強い感情の中で生まれた作品は、何も知らずに見た者の心の中にも、何かしらの影響を及ぼすとしたら。
そうだ、絵画、写真という枠組みを外れて、小説という枠組みに考えを移してみたらどうだろう?別段、不思議というほどのことでもないような気がしてきます。

うん。美化だろうがなんだって、本当はどうでもよかったんです。そんなものは本当に引き出しの鍵に過ぎなくて、問題は中身のほうで。
懐かしくて、温かい。大好きだけど、今、この瞬間も少しずつ忘れていく。
そんな切なさを閉じ込めた作品越しに、我々は、その気持ちを受け取る。

作品は感情を格納したコンテナで、我々はその作品に触れた瞬間、自動的にその感情を解凍、展開するものなのかもしれません。
小学校の美術の教科書に載っていそうな解答になってしまいました。
まだ、感情を格納できる拡張子はないから、今のところ、感情を預けて、保存して、そして受け取ってもらうための手段と言えば、まだしばらく、あらゆる芸術の独壇場でしょう、

これは、ちょっとした魔法なんじゃないでしょうか。すごいことではないでしょうか。
この薄暗い世の中ではとても貴重な、きらきらしたナニガシではないでしょうか。

どうやら自分はラッキーです。
(それを芸術と呼ぶかは別として、)自分はこの感情を、コンテナに詰めて誰かに届けることができるみたいです。
小説を書いててよかったな。でも、もっと上手く届けられるようにならないと。

我々、超水道の作る作品にも、この魔法がかかっているといいな、と思います。
こういうことって、もどかしいことに、自分たちではよくわからないものです。

可能なら、未来の世界で、今、この時代を知りもしない子どもたちが、我々の描く何気ない風景の中に、その「ありもしなかったのノスタルジー」を感じてもらえたら、もっといいなあ。
だってそれは、そこに魔法があるという証明になるから。

よし、とりあえず冬コミに向けて頑張るぞ。
頑張って、疲れ果てて眠って、そして、温かい夢を、もうちょっとだけ覚えていられたらなあ。
author:ミタヒツヒト, category:デスポエム, 20:31
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