排水溝を掃除する
夢を見た。
夢を見るときはたいてい、夢の中で現実の自分とは別人になって、別の暮らしをしている。
今回は脚を怪我した独身の男だった。
元々は冷凍食品の管理業者に勤めていた。
マイナス何十度という冷凍庫の中で、運び込まれたダンボール箱を会社の基準に従って、決められた区画に積み上げるという仕事だった。
冷凍庫での仕事はとてもきつかった。だからなのか、給料はそこそこ多く、高校を卒業してから十年以上、無駄遣いせずに暮らしていたので貯金は一財産あった。
きつい仕事なのだ。きっと長くは働けないだろうと知っていた。
もう少ししたら、もっと楽な仕事に移動させてもらうしかない。貯金はそうやって、稼ぎが少なくなったときのためのものだった。
そうやって若い時間を寒い冷凍庫の中で重く湿ったダンボールを運ぶ仕事に費やした。手足がかじかんで、爪がいつもぼろぼろだった。
仕事を終えて冷凍庫から事務所に戻ると、そこは暖かく、防寒着を脱ぎながらほっとすることができた。
そこで毎度、「お疲れさまです」と声をかけてくれる事務の職員がいた。
あまり美人ではなくて、少し太っていた。
その女性職員は色白で、大きくて黒い瞳をしていて、長いまつげに縁取られた目は笑うと白目が見えなくなるようだった。その目はなんだか、子どものころに飼っていたブンチョウに似ていた。
人が良さそうだという以外に、とりえのなさそうな女だった。けれど、書類を渡してくれるとき、彼女の手は妙に暖かくて、それがなんとなく気になったのだった。
どうしてかわからないが、その事務の職員は冷凍庫から戻ると必ず「お疲れさまです」と言ってくれた。いつからかはわからない。最初からかもしれなかった。
彼女と結婚してから、以前にもまして働いた。
その女性が事務職をやめて、下腹部がぽってりと膨れてきてからは、ますます働いた。
同僚と飲みに行って、薄い焼酎を飲みながら子どもの名前について相談した。
その帰り、自分の乗っているタクシーと、軽自動車が事故を起こした。
タクシーの運転手は軽傷だったが、助手席に乗っていた自分は脚を複雑に骨折したようだった。
事故相手の軽自動車はくしゃくしゃと紙を丸めたようにひしゃげて、運転手は死んでいた。
事故の相手は妊娠した女で、胎児は自分の子どもだった。
彼女は酒を飲んだ自分を駅まで迎えに来ようとしていたのだった。
妊娠中だったので、めまいでもして事故を起こしたのだと言われた。
葬式のとき、妻の棺桶の横には小さな白木の箱が並んでいた。
それが子どもなのだと言われた。
誰が言ったのかわからなかったが、きっと医者だと思った。医者は子どもの顔を見ただろうか。娘だったのだろうか。それとも、息子だったのかもしれなかった。
蓋は開かなかったので、火葬のとき、その小さな箱の上にはメモをのせた。同僚と悩んだ名前の候補を書いたメモだけをのせることにしたのだ。骨は残らなかった。
妻と子どもになるはずだった胎児が死んでから数カ月がたった。
事故で骨折した脚がおかしな具合になった。
医者に行くと、どうやら冷凍庫での仕事が傷に障ったようで、脚を切らなければならないと言われた。
脚がなければ冷凍庫でのきつい仕事はできない。
どうすればいいのかと医者に聞いた。医者は黒い目でじっとこちらを見つめた。その目は黒かったが、子どもの頃飼っていたブンチョウには、ちっとも似てはいなかった。
脚を失った後はかんたんに落ちぶれていった。
まるで太陽が沈むように、するすると堕落した生活にのめりこんだ。
冷凍庫で働いていたころに貯めた金はすぐになくなり、妻の生命保険で得た金に手を付けた。
いつのまにか通帳の残高は減って行った。まるでそれは自分の人生の残り時間をカウントしているように思えた。
きっとあの晩、妻が軽自動車に乗るまでが人生の最高で、今は夕暮れどきなのだ。
誰に相談するわけにもいかず市役所に連絡した。
妻が死んだとき、役所の職員はすべきことを教えてくれたからだ。
役所の職員はそのときほど親切ではなかったが、やはりすべきことを教えてくれた。
何年かぶりに、以前のような作業着に身を包んだ。
それは冷凍庫用の防寒具ではなく、水をはじく素材だった。
以前よりも汚れていて、臭くて、サイズが大きくて、重かった。
市役所で紹介された仕事は、市の排水溝の掃除夫だった。
その排水溝は二層になっていて、粗い金網でごみを漉し取るような仕組みだった。
毎朝、その排水溝に行くと、膝まで汚水が溜まっていた。
そこに長靴で踏み込んでいって、ごみを浚った。
汚水は臭く、汚く、そして何かいかがわしいものの気配がした。
何かのチラシや何かの切れはしや、とにかく生活の中で人が水に流したものがどろどろに溶けてそこに流れ着いた。
それを浚ってやると、水が金網の下に沈んでざあざあと音を立てたのだった。
長靴の中には汚水が流れ込んだが、脚は切ってしまったのでどうという気持ちもわかなかった。
脚がないわりに、そんな場所ですべって転ばない程度には、脚がない生活になれていたのかもしれなかった。
賃金は少なかったが、働いている時間は金を遣わずにすんだので、また少しずつ、通帳の残高は増えていった。
何だか、人生の残り時間を必死に稼いでいるような気がした。
それでも妻だった女のために必死で働いたときを思い出して、なんともいえない、満たされた気持ちになった。
通帳の残高は少しずつ。少しずつ増えていった。
そしていつか、彼女に結婚指輪を買おうと思ったときに開いた通帳の額とおなじくらいになった。
次の日。初めて脚をすべらせて、排水溝の汚水の中にばしゃりと沈んだ。
寿命だったのかもしれないし、排水溝での仕事がまた、脚に障ったのかもしれなかった。
死んだあとは誰も見つけてはくれなかった。排水溝で働いていたのは自分だけだったからだ。
ゆっくりと肉が溶けて、骨になった。
嵌めたままだった結婚指輪がこつんと金網をすりぬけて、汚水の中に沈んでいった。
きっと、今、日が沈んだのだと思った。
もちろん、佐々木ケイ個人は冷凍庫で働いたこともないし、子どもの頃ブンチョウを飼っていたこともない。
少し太った色白の女性に縁はない。子どももいない。胎児の葬式は見たことも聞いたこともない。
だから実際は、間違った世界の夢で、現実にはこんなことはありえない。
けれど目が覚めた瞬間、なぜか自分は排水溝を掃除していたことを覚えているし、その場の臭いも、汚さも、いかがわしい雰囲気も、指輪が水に落ちる音も覚えている。
人の夢の中で生きていた人間だが、その排水溝掃除の人のことをなんとなく他の大勢の人に伝えてみようかと思った。それで、こうして意味のない日記で超水道ブログを更新している。
きっとこのブログを読みに来ている人達には、あまり関心のないことだろう。
ただ、佐々木のいぐすり世代は日記なので、こういうことを書いてもいいかなと思ったのだ。
このブログ記事を読んで胸糞悪くなった人はぜひ斑くんの
あんぱん世紀を読んで口直しをしてください。
帰りに斑くんのあんぱん世紀にコメントを残してあげてください。
この記事の批判は斑くんのあんぱん世紀へのコメントでのみ受け付けます。
コメントお待ちしております!
夢見の悪い、佐々木ケイでした。